旅 日 記
車中泊
皆生温泉 日御碕 2001年6月20日〜21日(水〜木)
カミさんは19日から三連休。その初日は雨の中、六甲山の神戸市立森林植物園へアジサイ見物。アジサイにもたくさんの種類があることもわかり、結構楽しめた。帰りはお気に入りのサント・アンのケーキを求めて三田まで。十分満足してくれたはずだったのだが・・・。
その雨もようやく上がったようだ。家事を済ませた10時過ぎ、どこか温泉へ行こう・・・と珍しいことを言い出したのである。ただし予算は15000円だそうな。それなら日帰り温泉しか行けないじゃん。箕面のスパーガーデン? 天理の健康ランド? そんなところなら御免こうむりたい。温泉ならやはり白浜とか、下呂とか・・・だろ?
だが待てよ? 何か方策はないか? なに? ホテルや旅館などに泊まらなくても行ける? そこでガイドブックとにらめっこ。
皆生温泉に日帰り温泉施設、OUランドが2000年7月オープンと載っている。温泉に入り、どこかで仮眠しながら明日はおいしい魚を食べて・・・これでおおかた15000円でおさまらないか?
貧乏旅行もついにここまで来たか。若いころならいざ知らず、この歳になっていまさら・・・とも思うが、何も贅沢な旅ばかりが楽しいとは限らない。体力も今ならまだ何とかなるかな?
そこで早めに昼食を済ませ、タオルと着替えを持ち、毛布を車に積み込んで12時過ぎに出発。明石まで高速料金1500円を奮発したおかげで3時前には竜野を通過していた。
津山から奥津を経て緑溢れる山々を楽しみながら人形峠を目指して快走。だが雨が降り出し、霧も出てきた。峠越えをしたかったのだが無理はよそう。
人形トンネルを抜けると雨は本降りになっている。しかし三朝を過ぎ、夕暮れの倉吉では青空も覗きだした。やはり山陰の天気は変わりやすく、わからない。
前に一度行っておいしかった泊村のかに舟でお刺身の夕食に舌鼓の後、道の駅ポート赤碕付近から少し山に向かって寄り道する。川を探して適当に走っていると、かなりの数のホタルが乱舞していた。都会育ちの女王様、大喜び。
9時半ごろ0Uランドに到着。しかしなんだか暗い。併設のホテルは営業しているが肝心の温泉は改装中で休業だそうな。それはないだろ? さて、どうする?
ここまで来たからにはどうしても温泉につかりたい。仕方なく皆生温泉健康ランドオーシャンへ。1300円。ちなみにOUランドは310円である。水曜日は女性半額でラッキー? そんな問題ではない? 閉店の23時までの〜んびり。やはり温泉は最高じゃん。
さっぱりとして松江へ向かう。全開の窓から吹き込む風がほてった体には心地良く、汗もようやく引いたようだ。松江駅ではタクシーの運転手が車の中で熟睡中。
宍道湖の北、湖岸沿いにある道の駅なぎさ公園には日付が変わり、20分ほど過ぎて到着。6〜7台の車が停まり、寝ている人もいるらしい。
明け方少し寒く、暖房を入れてまた眠る。5時過ぎ、周りの明るさで目が覚めた。短時間に熟睡したようで割合すっきりしている。トイレを済ませ顔を洗う。こういうことが出来るから道の駅はありがたい。
宍道湖の漣が立つ少し濁った水面を見ながらパンと缶コーヒー、おにぎりとお茶の朝食の後、日御碕を目指して出発した。
人影が全くない早朝の日御碕は曇り空に風が強く、広い日本海は少し荒れ模様。赤茶けた岩肌に波しぶきが吹き上がり、さすが日本海と言う風情である。遠い海を見据えるような白い日御碕灯台はとても大きく、そして高く、何か威厳さえ感じられる。
変化に富んだ海岸沿いに続く岩場の中の遊歩道を散歩する。波の音とウミネコの鳴き声が妙に気持ちを落ち着かせてくれた。経島(ふみじま)にはウミネコの大群。格好の繁殖場らしい。カミさんはパンくずを与えて遊んでいた。
広い出雲大社にまだ人影は少ない。ちょうど出勤時間らしく、正装に着替えた巫女さんが境内を行き来していた。二礼四拍手一礼に少し戸惑いながら参拝する。
松江の市内を抜け中海を右に見て美保関まで足を伸ばしたが、わざわざ行くところではない? 灯台と高台からの海を眺めただけ。これくらいのところは日本国中、どこにでもありそう・・・。
境水道大橋を渡って境港へ。ちょうどお昼時。境港駅のタクシーの運転手さんから情報収集。我々も少しばかり先日のテレビでの情報もある。その結果、やはり回転寿司に決定。教えてもらった回転寿司すし若は金沢のいき魚亭と遜色ないが、値段が安い。女王様お気に入りの店がまた一つ増えたようだ。
市内を少しウロウロ。さすが港町。いろいろ魚は安く買えそうだ。あとは日本海を眺めながらのんびりと帰途につく。
このあとが心配である。カミさん、今回の旅が結構気に入った様子。だがこの歳である。いつまで続けられるか、それが問題だろう。
大山 2001年8月28日〜29日(火〜水)
カミさんが
「もう一回、OUランドへ行かへんか。この前入れへんかったやろ。」
と言い出したのは昼食を食べているときであった。また始まった・・・とも思うが断る理由もない。天気もまずまず。急いで準備をし、2時過ぎに出発した。
ガソリンを満タンにして洗車もした。水走から阪神高速に乗るが姫路バイパスで長い渋滞との情報。ならば池田へ回ろう・・・と宝塚、三田、篠山を経て柏原に差し掛かると焼肉のおいしそうな臭い。たまらずカミさん、
「わ〜・・・たまらんな〜。なんやビビンバが食べとなってきた。」
「せやけどまだ5時やで。ちょっと早よないか?」
和田山からは国道9号線へ。八鹿町を過ぎたあたりでようやく焼肉屋を発見。丹波牛の焼肉はおいしかったが、ビビンバは・・・? 時間は7時を過ぎている。
OUランドの営業は11時までである。ならば10時には着く必要があるが・・・。かなりきびしい? 着けないこともない? しかしここから皆生温泉までは約170Kmもあり、あと3時間? 4時間? ここは無理は止そう・・・と湯村温泉で我慢することにしたが、湯村温泉の薬師の湯も良いお湯ではないか。
ゆっくりと汗を流し、さっぱりとして出てくると・・・なに? 車が濡れてるじゃん。通り雨が降ったらしい。せっかく洗車までしてきたのに・・・と仕方なく車を拭いた。
「洗車なんかするからやん。あんたが車洗うたらいつもこうなるな〜。」
早くも温泉入浴の目的を達し、行く当てがなくなってしまった。さて、どうする? このまま帰っても3時間ほどだから今日中には帰れるかな?
「そんなん、つまらんやん。どっかないか?」
「それもそやな〜。ほな大山まで行くか?」
11時、倉吉を通過。道の駅北条で寝ることにしたが時々車の屋根をたたく通り雨の音に眠りを妨げられる。夜が白み始め、浅い眠りから覚め、パンで空腹を満たして出発。時間はまだ5時である。
ところが道が乾いているではないか。青空も見えている。このまま良い天気になりそうな気配。ならばと道の駅大栄で車をきれいに拭いて走り出した。だが10分も走っただろうか・・・なに? また雨? おばはん、
「ご苦労さん・・・。」
これが山陰特有の天気なのだろう。大山も雲に隠され何も見えない。さりとて行く当てもなく、雲の中へ突き進んだ。
大山道路は松並木が美しく、緑が溢れる快適な道である。ゆるい登り坂でカーブも少ない。霧もあまり気にならず見通しもそんなに悪くない。
霧雨が降る大山寺のバスターミナルから向かった大山まきばみるくの里では早朝うえ人影など全くなく、牛の姿も見えない。放牧場の柵沿いに咲いている可憐なコスモスが雨に洗われ、シャワーを浴びたようにすっきりと美しく、なんともかわいい。だが緑が一杯の大山は大きく広げた扇のようだが、肝心の要の部分が雲に隠されていた。
ところが枡水高原に到着すると雲も払われ、穏やかで優しい稜線を従えた美しい大山がその全貌を現してくれた。人影を発見。観光リフトのおじさんの出勤時間らしい。
鍵掛峠から蒜山高原へ抜けようと大山環状道路へ向かうとまたもガスがかかりだし、それもだんだん濃くなり、ついにはなにも見えなくなってしまった。初めての山道。気味が悪くておそろしい。この先どうなっているのやら・・・と不安を感じ、Uターン。
そこで大山寺のバスターミナルから赤碕大山線を下ることにしたところ、すぐにスキー場が現れた。37〜8年前に何度か来た事はあるが、規模がとてつもなく大きくなっていてリフトの数も半端ではない。
「時代が違うやろ。歳を考えてみぃ〜。」
それはその通りだが、面と向かって言われると・・・。
「そんなんわかってるわ。ちょっと昔を思い出して懐かしかっただけや。ほっといてんか!」
いやはや・・・。
急な下り坂を過ぎ高原に出ると、あとはなだらかな大山の裾野を走る快適な道になり、やがて一息坂峠。厚い雲が覆う大きな日本海がぼんやりと見えていた。あれが弓ヶ浜だろうか。と言うことは皆生温泉も見えるのかな?
周りの景色が牧草地から田や畑に変わってくると、程なく海岸線に出て国道を鳥取へ向かう。
ここまで来たのなら昼食はやはり魚だろ? ならばと港へ向かう。あれ? あれはすし若の看板? どうやら鳥取店らしい。しかし先に港へ行ってみよう。
ここが港? 突き当たりの狭い駐車場だが観光バスが停まっている。しかも次から次に到着してるじゃん。
古くて広い平屋の観光客用の魚市場で隣では果物も売っている。我々は何も買い物に来た訳ではない。だが、さすがに我が家のおばはん。たくさんのおばはん族に負けてなるものか〜となんだかんだとお買い物。
ここへ来る少し前に見た料理屋のことを市場の人に聞いてみた。良い店らしい。ならば食事にしよう。
店内は広間のお座敷に御膳が並べてある。ほぼ満席。メニューはなく、2000円と3000円の定食だけだそうな。2000円の定食を注文。
ところがこれがなんともまずい。少しだけの刺身は新鮮さがなく、養殖の魚? 煮付け、焼き物に調理されたカレイなどは食べられたものではない。我が家の近くの食堂でももう少しましなものを食わせる。海のそばまで来てこれでは〜・・・と憤慨して席を立ち、後悔しながらハンドルを握る。見えてきたすし若の看板が、いやに大きく見えてきた。
気を取り直して高台にある砂丘センターから少し色が濃くなっている鳥取砂丘を眺める。観光リフトから降りてくる人の足元がやはり汚れているから砂は雨でぬかるんでいるのだろう。青い海の上の雲の間からようやくまぶしい太陽が顔を出し始めた。
さて帰途につくとしよう。天気も良くなってきたことだし、ここは国道9号線より海岸線かな? そこで向かったのが浦富海岸。大きな青い海が雲の合間から差し込む光に輝きだし、美しい海岸線と大きな岩、小さな岩に白く砕ける大きな波・・・そんな風景を眺めながらのドライブは快適である。天気といっしょにようやく気持ちも晴れたようだ。やはり海は心を和ませてくれるのだろう。
皆生温泉OUランド 2001年9月11日〜12日(火〜水)
三日ほど前、カミさんから京都の大谷本廟へ彼女の両親のお墓参りに行くから・・・と頼まれていた。ある程度の予想はしていたが案の定花と一緒にいつものバッグが置いてある。先日から二度も入れなかったOUランドの温泉がどうも気になって仕方がないらしい。
墓参りをすませた午後の3時から4時間、休憩なしで突っ走り、7時にすし若鳥取店に到着。先日の境港店より広く、ネタも味も遜色ない。
9時30分、三度目にしてようやく入れた皆生温泉OUランドは新しくきれいで広く、良く温まる快適な温泉。カミさんは身も心もすっきりしたらしく、満足そうな顔をしていた。
11時過ぎ、大山道路を2〜3Km登ったところの岡成パーキングエリアに車を止め、就寝。雨が降ったりやんだりしていた。
車の天井を激しくたたく雨の音で目が覚める。時計の針は3時を指していた。眠ろうとするが逆に目が冴えてくる。カミさんも同じらしい。仕方なく行く当てなしに車を走らせた。
米子市内は雨があがっている。道路工事を示す赤いランプと、広い川沿いの工場から出ている白い煙と、そのいやな臭い以外は気味が悪いくらい静かである。米子駅に止まっている5〜6台のタクシーでは運転手が熟睡中。
もしかして朝日が見えるかも・・・と弓ヶ浜展望駐車場へ向かった。広い砂浜に大きな波。青黒い不気味な海。空を覆う黒い雲。 だがその間に広がる肌色のような明るいピンクの帯・・・これならひょっとして? しかし、そのかすかな望みも断たれてしまった。
朝食をおにぎりで済ませ、相変わらず雲に覆われている大山を目指し、今日も大山道路へ。だいぶ明るくなってきた。天気は回復しそうである。
先日咲いていたコスモスはもう散っていた。大山まきばみるくの里から高原らしく広々とした大山の裾野の景色を楽しみながら、ゆっくりと下って行く。雨に洗われ、澄んだ空気に米子の町並みが美しい。
やがてペンション村。林の中の数軒のペンションを抜け、枡水高原まで登り、今日こそはと蒜山高原へ向かう。だが大山環状道路はゲートで閉鎖され、迂回路が示してある。わかり辛く少しばかり迷ったが、1時間あまりで何とか鏡ヶ成へ到着。雨上がりでより鮮やかになった緑の森を従えて建つ休暇村鏡ヶ成前の芝生がようやく顔を覗かせてくれた太陽に照らされ、まぶしく輝いていた。
蒜山大山スカイラインの鬼女台(きめんだい)から360度の雄大な風景を眺め、蒜山高原の穏やかでのんびりとした広大な高原をドライブ。通行量の少ない高原を走っているのに自然とスピードが遅くなっていた。蒜山三座は鮮やかな緑に覆われ、なだらかな斜面の優しい山である。蒜山ジャージーランドで濃厚なおいしい牛乳で喉を潤し、やがて道の駅風の家に到着した。しかし大山の頂にかかった雲は取れず、最後まで顔を見せてくれることはなかった。
さてここまで来たのだからお昼はおいしい魚だろう。しかし前回の反省もあり今日は境港と決めていた。そこで目の前の蒜山インターチェンジから米子まで高速道路を利用、前々回タクシーの運転手さんに教えてもらっていたお食事処峰へ急ぐが、到着は1時になっていた。二組待ちの待合室のテレビで始めてニューヨークのテロ事件を知ることとなる。何と恐ろしいことよ。
1800円のお刺身定食と1500円の月御膳を注文。出てきた料理に二人は大きく開いた目をあわせ、食べ始めて自然と目が細くなり、口元が微笑んでいた。
何か当たりくじを引き当てた気分である。高いお金を出しておいしいものをいただくのは当たり前。いや逆にまずければ文句の一つも言いたくなるものだ。反対にお値段より値打ちがあるものに巡りあえた喜びを実感する。
貧乏性の我々夫婦には高級料亭や高級ホテルなどは似合わない。もちろんお金のこともあるが、肩肘張っての食事など願い下げである。4〜5年も前になるだろうか・・・奈良公園に近い有名な高級料理店の一万円の会席料理に値打ちのわからぬ我々は目の前を走ったゴキブリのこともあわせ、大いに憤慨したものだ。それ以来、蟹などの特別な料理を除き3000円を超える食事はしたことがない。
食事は5000円まで、一泊二食は15000円までが許容範囲であろうか。その範囲内でおいしくて気持ちの良い店を探すのも旅の醍醐味の一つであろう。贅沢な旅を一回するのも良いが、それより我々は二度旅に出たい。
おいしい食事に大満足して境港を後にし、国道9号線でのんびりと帰途についた。日本海は大荒れである。泊漁港では大波が防波堤をたたきつけ、波しぶきが家の屋根の高さまで吹き上がり、怖いくらいであった。白兎海岸でも打ち寄せる白波がどこまでも続いていた。
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