旅 日 記
みちのく6泊七日の旅
弘前 八甲田 2002年10月7日(月)
朝のさわやかな露天風呂がすっきりと目覚めさせてくれた。あまり寒さは感じない。予報通りの雨に煙り、目の前の海がぼんやりと霞んでいた。
弘前まで今日は五所川原まわりを考えていたが、昨日来た道を引き返すことにした。朝食に出たりんごがさっぱりとしているが、ほのかな甘味がとてもおいしい。今は津軽という品種の時期らしい。このりんごならお土産に送りたい人がいる。そこで岩木山観光りんご園へ寄ることにしたのである。
9時前の岩木山観光りんご園ではこの雨にもかかわらず、早くも15人ほどの団体客がりんご狩りの申し込みをしている。試食した津軽はやはりおいしい。そこでお土産に嫁二人へ。当地で食べたからおいしかっただけだろうか? 味はいかがだったかな?
ローズピンクの可愛いりんごの種類をたずねると品種ではなく、赤いりんごに育ってゆく過程の色だそうな。リンゴジュースと道中用のりんごもゲット。
弘前では予想通りパリ亭へ寄れとのご命令。さすがに今日は迷わない。ならばこの雨だし、のんびりさせてよ、たまには私のわがままもいいだろ?・・・と喫茶万茶んでティータイム。コーヒーと一緒に頼んだアイスクリーム添えの焼きリンゴがとてもおいしく、癖になりそうだ。
マスターと雪の苦労話や弘前城の桜の話など、楽しいおしゃべりに時を忘れてしまった。リンゴも他の野菜や果物と同じように昼と夜の温度差が大きいほどおいしくなり、平地より山に近いほうが良く、岩木山で買ったのが正解だったそうな。
ようやく雨もあがったようだ。落ち着いた町並みと行き交う人々が上品で、この町はなぜかほっこりと落ち着く。
思いもかけず時計の針が進みすぎたようだ。先を急ごう。カミさんは早速車内でケーキに舌鼓。今おいしい焼きリンゴを食べてきただけなのに? ようやる・・・。
黒石温泉郷の温湯温泉浴場で一風呂。いかにも湯治場らしい風情の古い町並みの中に程よく溶け込んだ白と黒の蔵のような洒落た建物である。温泉はとてもよく温まり、なかなか汗が引かない。
ばあさんを待っている間に受付のおじいさんに話しかける。怖そうな顔で取っ付きにくそうな人だったが話をしてみると穏やかな優しいしゃべり口で、とても親切だ。私にもわかるように一生懸命標準語に近い言葉で話してくれるが、随所に津軽なまりが混じり、ほほえましく、とても楽しい。
周辺には旅館と客舎があり、客舎は昔よりは少なくなったそうな。民宿のような宿泊施設をこのあたりでは客舎と言い、現在も結構あるそうな。
また降り出した雨の中、津軽こけし館へ。驚くほどのこけしが展示してあるが、我々にはどれも同じように見え、違いが良くわからない。こけしにはいろいろな系統があり、やはり鳴子系は古いが津軽系はまだ歴史が浅く、胴体にくびれがあるのが特徴で、鳴子系は菊の花、津軽系はボタンの花が多い・・・と案内の若いお嬢さんが教えてくれた。
温湯温泉が良く温まった・・・と言うと、温湯生まれの彼女はうれしそう。黒石温泉郷のうち落合温泉や板留温泉は寒の湯と言って入ったときは良く温まるが冷めるのが早く、温湯温泉はなかなか冷めない・・・と大いに誇らしげだが、そこにはひとかけらの嫌味も感じない。
「どこかで昼食を取りたいが・・・。」
「ここらは田舎でおいしいものは何もありませんが、美鈴のお寿司はどうでしょう。私たちも忘年会などでたまに行くんですよ。受付で地図を用意しておきます。」
「・・・、・・・。」
どこまで親切なの?
売店でこけしのお土産を探していると、その売り場の中年の女の人は、
「昨日は日曜日で忙しく品物が少なくなってしまい、補充が間に合わず、まことに申し訳ありません。」
とこちらもとても丁寧。
気を良くした私は調子に乗り、つい聞いてしまった。
「まことに申し訳ありません・・・と、津軽弁で言えばどうなる?」
だが、その人は津軽の人ではないらしい。ならばもういい・・・と言うのに、地元の人に聞きに行き、わざわざ連れてきて教えてくれたではないか。
そこまでして教えて下さったのに・・・。なに? 1時間も経たない間に忘れた? これはまことに申し訳ない。 ほんまにすんまへん! トホホ・・・。
こけしのお土産もゲット。丁寧に教えてもらった美鈴はすぐ近くにあった。食べたお寿司は、なにがこんな田舎・・・なことか。大満足。外は雨もあがり、青空も覗きだしたようだ。
さて、天気も回復したとなればいよいよ八甲田山である。まずは城ヶ倉大橋だ。だが、少し変? 見えてきたのは虹の湖? どうやら道を間違え十和田湖方面へ向かっているらしい。ならばこの際である。道の駅虹の湖まで行っちゃえ〜。
気を取り直して引き返し、登って行く。大きな美しい森は少し色付き始めているがまだまだ緑がまぶしい。これが全て紅葉すればどれほど素晴らしいことだろう。
城ヶ倉大橋が見えてきた。白い大きな橋が雲の隙間から差し込む弱い太陽の光に輝いている。V字型に切れ込んだ大きな深い谷に架けられた橋の上からは、遠くには遥かな山並みを望み、怖いくらいの遥か下には流れる清流が細い線のごとく見えている。風がかなり強い。紅葉はまだ始まったばかりのようだ。紅葉したこの渓谷を是非見てみたいものだが、今日のところは圧倒されそうなこの眺めだけでも十分満足?
八甲田ロープウェイは運転されているが、山頂の天気は曇り、風速15mと表示されている。怖がりのカミさんが乗る訳はない。ロープウェイは明日にして八甲田山一周のドライブをすることにした。
まずは萱野高原まで下る。城ヶ倉大橋からここまでまだまだ緑ばかりで紅葉にはほど遠い。時期が早すぎたのか? 少しばかりオロオロ。
目の前の八甲田の雰囲気と40年前の昭和37年10月2日に訪れた時の風景とがなかなか重ならない。だが、萱野高原に着き、ようやく21歳の若かりしころの甘酸っぱい思い出が蘇ってきた。
広くて大きな高原。そこに広がる絨毯のような緑の芝生。その中に立っている爽やかな木々。遥か遠くには八甲田連山の美しい山並み・・・。
当時はようやく戦後の混乱が影を潜め国民も立ち直りつつあったとは言え、全学連を中心とした学生運動も激しく、まだまだ不安定な社会情勢であった。同級生には全学連の活動家もおり、親友の自殺未遂など、自分自身にも目標が見えずになんとなく旅がしたくなり、松島から十和田湖、磐梯山へ、ぶらりと一人旅に出かけたのであった。
先日この旅行に出るにあたり当時の写真を引っ張り出していると、友人宛に出した手紙の下書きが出てきた。読み返してみるとまだまだ青臭い感性に少し戸惑いも覚えるが、時代の変化も十分に読み取れる。
十和田湖 休屋にて 10月2日 快晴
疲れた様子の遊子一人を乗せた急行八甲田は定刻より2分遅れて5時18分、愛する友々の住む島の最北端、津軽の国青森に到着した。津軽の秋の風は冷たく皮膚に突き刺さる。ブルッと一つ身震いをしながらまだ薄暗い四方を見回した。やや濃いモヤの向こうに青く何かが光っている。海だ。青森湾である。日本北端の島、アイヌの国北海道とを結ぶ基地である。 『とうとうここまでやって来た。』 雄々と浮かぶ連絡船の巨体を眺めていると、そんな言葉がつい口から飛び出してしまった。
5時40分発十和田湖行きの国鉄バスに乗り込む。これからバスで4時間半、船で1時間の長距離コースだ。まだ眠りからさめない青森の町を抜けるとだんだんモヤも晴れ、青い空が見え出した。青い、全く青い空である。少し不気味な感じさえする青さだ。はるか前方に八甲田連峰がその姿をくっきりと現した。これからその中腹まで登り、それを越えて行くのである。その裾野あたりから大きな太陽が顔を現した。
あとはもう夢中であった。自分が遠く離れた北の端にいることなどすっかり忘れ、ただ体を自然の中に投げ出していた。一瞬の夢・・・実際は約5時間の現実・・・から目覚めると、いつしか十和田湖の南端、休屋の桟橋に立っている旅人を発見していた。
朝日に照らされ朝の光を浴び、その青さをますます濃くした木々・・・萱野高原。バスの窓から見るモヤにかすんだ津軽半島と夏泊半島にはさまれた青森湾。バス道の両側に見られる黒松、赤松の木々。八甲田大岳の雄大なスロープの裾野に湯煙を上げる酸ヶ湯温泉。今が紅葉真っ盛りの標高1040mの笠松峠。左に北八甲田連峰、右には南八甲田連峰の山々。
いたるところに見られる珍しい高山植物。津軽の馬っ子がのんびり遊ぶ草原。樹の間隠れに見られる蔦沼の神秘さ。突然夜が来たのかと思われるブナの密林。これ以上の変化は望めそうにない・・・それほど変化に富んだ奥入瀬渓流。流水は瀬となり淵となり滝となり、右に左に・・・。
それにもまして十和田湖の水の青さと神秘さ。あくまで青く、あくまで深く、あくまで静かな・・・。どんな泳ぎの達人でさえ、ここでは底へ引き込まれるような気がする。湖の向こうに見える山々が逆に水を写して青く見える・・・それほど十和田湖の水は青い。
短い夢から覚めて快い疲れが体を包んだ。ただただもくもくと歩いて宿に着き、筆を取っていた。この感激を筆に託して誰かに伝えたい。いや、どんなに書いてもこの十和田湖を書き尽くすことは出来ないだろう。これほどまでに清く、美しく、全く自然であり、神秘的でさえある・・・そんな場所が他にあろうか。
偉大なる自然を賛美し、また訪れる日が近き将来必ずあることを心に誓い、明日は当地を離れたい。
当時は道路も舗装はされてなく地道であったためか、子ノ口まで4時間30分かかったのが今のJRバスは2時間35分で到着する。乗り合わせた二人のおばあさんの会話が一言も理解できず、私はどこの国に来たの? と面食らったことや、幸運?にも乗ったバスが八甲田の景色の良いところで故障をし、通る車など全くなく、代わりのバスの到着までのんびりと気分よく散歩をし、途中で拾ってもらったことなどの記憶が残っている。
10月2日は当時でも最盛期には少し早かったのか、乗客も少なく、どこも観光客などまばらであった。
休屋では貸しボートに2時間近くも乗り、湖面の波がおさまるのを待って水面に映る景色を写真に撮り、泊まった旅館では客も少なく、女将さんが最後まで食事の給仕をして下さり、夜にはラジオからラジオ関西や朝日放送の電波が届きシンミリしたことなど、懐かしく思い出される。
当然八甲田ロープウェイなど設置されていなかった。40年の歳月は長いようだが、思い起こせば随分短く感じる。その間の世の中の変わりようは半端ではない。やはり地球温暖化のせいもあるのだろうか? 今日は10月7日だが、この紅葉の進み具合を見ると一週間から10日くらいは季節が逆戻りしているように思われる。
これから始まる紅葉劇場八甲田編は40年前の感激を再度味合わせてくれるのだろうか? バスの所要時間が短くなった分感激も少なくなるのだろうか? だが、この様子では・・・大いに心配である。
萱野高原をあとに八甲田連峰の北側を通る旧火箱沢林道から東八甲田ルートへ。この道は冬季の積雪時に十和田湖まで通じる唯一の道らしい。なるほど、ブナの林を切り開いたアップダウンの少ない走りやすい道だが、やはり紅葉には程遠く、静かな森の中のドライブとなった。雪中行軍遭難記念像などにカミさんが興味を示すはずもなく、先へ進む。
やがて田代平の駐車場に到着。向かいの温泉の建物には多少の団体客も見られるが、この大きな駐車場に車はない。
うっそうとした木々の中、木道を進むと森の中に竜神池があった。この池の水はなんと美しく透き通り、その色はなんと不思議な、そしてなんと魅力的な色をしているのか。周りの森と合わせた雰囲気が、なんと神秘的なたたずまいであるのか。八甲田山の魅力を少し垣間見た気がする。
田代平湿原に出ると大きな展望が開け、ススキの穂が揺れ、湿原の枯れ草や遠くには少しばかり色付いた山々などが現れたが、我々が期待している八甲田はこんなものではないはずだ。まだまだ不安な気持ちは続いている。
田代平湿原からわずかな森を抜けると田代平高原に出る。左にはススキの大群。そしてその先には広い大きな高原が広がり、緑が美しい牧草地が輝いている。右を見ると美しく色付いた木々の上に大きな八甲田の山々・・・。
これだ! やっと出会えた。この景色である。女王様の目が輝き歓声もあがる。だが通行量はかなり多い。その上ダンプカーなど大型車が猛スピードで突っ走っている。それにも負けず苦労して何度も車を止めて景色を楽しむ。進むに従いだんだんと紅葉も色が豊富になり美しさも増してきた。
谷地温泉から笠松峠の登りに差し掛かる。車を止めてゆっくり眺めたいが後ろからトラックにせっつかれ、カーブも多くままにならない。笠松峠を過ぎると大パノラマが待っていた。
五年ほど前から、まだまだ少ないが紅葉もそれなりに見てきた。近くでは曽爾の屏風岩から香落渓。吉野のみたらい渓谷。一昨年は富山の立山から上高地へ、それと黒部渓谷にも・・・。昨年は磐梯山と日光、山陰の大山へ。それと昨日の八幡平・・・。
それぞれ個性豊かな素晴らしい紅葉であった。しかし目の前の景観は総合点でやはりトップクラスか。日光の半月山のような華やかさはないが、遥か遠くまで見渡せる視界の全てが見事に色付き、柔らかな夕日に輝くさまは雄大そのものであり、その懐に飛び込み、吸い込まれていきそうな気分である。経験はないが催眠術にかかればこのようなふわっとした良い気持ちなのだろうか?
夢見心地でハンドルを握り、ようやく道路際に設けられた地獄沼の駐車スペースに車を止める。地獄沼越しに見える景色に二人はうっとり、そして黙ったまま何も言わない。40年前、まだまだ未熟な若僧が感激のあまり生意気な文章を書いたことを素直に認め、許してやりたい。
通過した酸ヶ湯温泉からは下るに従い、また緑が多くなってきた。カミさんは明日もう一度行こう・・・と言っているが、十和田湖へ向かうには当然同じ道を通らねばならない。
八甲田山の余韻に包まれて八甲田ロープウェイのすぐ下のホテルフジサワ八甲田へチェックイン。しかしカミさんはまだ飽き足らず夕日を見に行こうと言い出した。だが残念ながら再び向かった城ヶ倉大橋からの夕日はいまだに雲の中であった。
寒水沢温泉のよく暖まるお湯につかりながら40年ぶりの八甲田の景色や、今日出会った人たちを思い、自然と口元がほころんでいた。
Next Back Home
|