旅 日 記


みちのく6泊七日の旅


小岩井農場 北山崎 2002年10月10日(木)


 5時半に起床して準備を始める。夜半降っていた雨もあがったようだ。運動不足解消のため1時間ほど朝の散歩をしようと昨夜フロントでコースを教わった。本音は増えつつある体重が気にかかる?

 6時を過ぎ、いざ出発。なに? また雨? やむを得ず行く先を大浴場に変更。これではいつもと同じじゃん。こりゃ〜だめだ〜。だが温泉もこれで入り収めである。これから向かう三陸海岸沿いに温泉はない。

 昨夜お世話になったご兄弟夫婦は連泊されるそうな。そこで遅い朝食をとられている間に、先日買っていた岩木山のりんごジュースを差し入れし、お礼と挨拶を済ませて出発。雨が降ったりやんだりしていた。


 盛岡へ向かう国道は通行量が非常に少ない。最近出来たばかりらしい道の駅雫石あねっこには農家直売の野菜が並び、生産者の写真がはってある。カミさんのパート先は八百屋だが、新鮮さと安さは驚きらしい。実際これほど美しいキャベツは見たことがない。どうやら雨もあがったようだ。

 今朝からどうも右手の人差し指の付け根辺りが痛い。持病の腱鞘炎が出たようだ。季節の変わり目によく肩が痛くなり熱が出るが、たまに手首や指に出ることがある。手の指なら多少熱も出るだろうが、たいしたことではない。持参した湿布を取り出し、患部にはる。ここまでいたって順調。とても楽しく何の疲れも感じてはいないが、体は正直だということ?

 向かった小岩井農場への道中、岩手山の裾野にかかった雲が虹のような美しい色をしてたなびいている。そうか、これが彩雲か。

 昨日、藤七温泉彩雲荘の掲示板に新聞の切抜きがはってあり、地元の人が撮った写真を、これが彩雲荘の名前のルーツです・・・と紹介してあった。見る機会は少なく、写真を撮るのに苦労した・・・とのコメント。地元の人も知らない人が多いそうな。

 小岩井農場はとても広い。緑の牧場にたくさんの牛を見てからかなり走っている。まだ9時少し前。こんなに広いところで人が少ないと何だかきまりが悪そう。しかし到着した小岩井農場まきば園の駐車場には何のことはない、観光バスがずらりと並び、自家用車も結構停まっている。面目ない。これは失礼なことを考えていた。

 入場するなりソフトクリームめがけて一直線。おいしい、おいしいと舐めながら帰ってきた。もう、いい加減にしなさい。

 まきば園は大きな小岩井農場のほんの一部だろうがとても広い。牛や羊がのんびり遊ぶ牧場、乗馬やアーチェリーなどの遊具施設、若者がバレーボールを楽しんでいる広い芝生、正面には大きな岩手山が雲に見え隠れし、赤い花が咲き、周りの木は少しばかり色付き始めている。小さな子供連れの若い夫婦、遠足に来た生徒たち・・・彼等なら一日ゆっくり遊べそうだ。

 シープ&ドッグショーを見ているとまたも雨が落ちてきた。

 雨宿りの休憩所でまたソフトクリーム?・・・と思いきや今度はヨーグルトだそうな。

 「おいしいで〜。ちょっと食べる?」

 「いや、結構です!」

 車に戻ると、

 「もう温泉はないん?」

 と寂しそうな顔。こうなればここは執事の腕の見せ所である。急ぎ観光協会に電話。数ある立ち寄り湯のなか手ごろな料金の繋温泉、ホールサムインつなぎへご案内。

 これが本当に最後の温泉である。湯上りの汗を冷ましながら盛岡から来たと言うおじいさんとおしゃべり。奥さんの腰が悪く、一週間に一回このお湯につかると具合が良いそうだ。

 昼食にお寿司でも・・・と聞いたところ、盛岡と言えばやはり冷麺らしい。そこでガイドブックにも載っているぴょんぴょん舎へ。どうせ国道沿いのラーメン屋だろ?

 ところが到着して驚いた。大きな建物に広い駐車場。これは立派なレストランではないか。お昼時でもあり駐車場も店内も満員で順番待ちの客が並んでいる。待ち時間は15分ほどらしい。ならばと名前を書いて待つことにした。

 出てきた冷麺は飴色をした少し太めの麺で腰が強く噛み切れないほどだが、のど越しがよく、ツルツルといくらでも食べられそう。自分で調節できる唐辛子とキムチが良く絡み、このおいしさはたまらない。カミさんがセットで注文した石焼ビビンバがまたうまい。

 最初に説明してくれた若い女性の店員さんは我々が関西人だとわかっていたらしく心配そうに、

 「いかがでしたか?」

 と聞きに来てくれた。

 「もう、癖になりそうやわ。」

 との答えに本当にうれしそうな表情と可愛い笑顔。また心が温まる。


 雨はまだ降ったりやんだりしている。低い雲が空を覆う盛岡をあとに一路太平洋を目指す。やがて岩洞湖が見えてきた。周りの山は見事な紅葉、それも早坂峠付近までおよそ10Km以上続いている。

 「もう紅葉は終わりやて言うてたんとちゃうん。」

 とカミさん皮肉たっぷり。だが目は笑っていた。ここはどのガイドブックにも載っていない。何か得した気分だが、こんなの予定をしていなっかったから車を止めていると遅くなってしまうじゃん。

 紅葉見物は任せることにして、ここは我慢我慢、運転に集中集中。ところが早坂高原付近で

 「わ〜!」

 と言う大きな歓声についにブレーキを踏んでしまった。周りはえも言われぬ見事な紅葉である。だが、せっかく追い越した遅いダンプカーにまた先を行かれたじゃん。トホホ・・・。


 峠を越え太平洋が近くなるにつれ天気もだんだん良くなり、到着した北山崎では青空も・・・当然気象条件も変わってくるのだろう。

 三百数十段の階段を下った北山崎の展望台からの眺めに息を呑む。どこまでも変化に富んだ断崖絶壁が続き、迫力満点。ところどころには波に削られた穴。風は弱く海は穏やかなはずだが、赤茶けた岩に砕ける波が白く光っている。見渡す限りの紺碧の海、遥か遠くに水平線がくっきりと、また虹もかかっていた。

 今日の朝いた田沢湖高原は秋田県である。実質4時間ほどかけて山から海へ、岩手県を東西に横断した訳だが、東北はさすがに広くて奥が深く、スケールもでかいようだ。


 5時が近くなり夕闇が迫っている。日の出日の入りが近畿よりは20〜30分は早いらしい。海沿いの道から青い海と緑の森に包まれた白い大きな建物が見えてきた。料理を含め、この旅で一番期待しているホテル羅賀荘である。

 このホテルは第三セクターの半ば公共の施設だが、一泊二食一人14000円。公共の宿にしてはかなり良い値段? 最初に泊まったグランメール山海荘と同額、昨夜の公共の宿、休暇村田沢湖高原は9800円であった。

 送ってもらったパンフレットには海を前にしたきれいな建物、美しく輝く朝日、ザルに満載の新鮮な魚貝類と舟盛りなどの写真、それと予約時の期待を持たせてくれる話し振り。これはおいしい魚が食べられそうで楽しみである。

 一風呂浴びて向かった食事どころは・・・なに? 大広間? 向かいの広間では宴会の賑やかな声。目の前のほとんど揃えてある料理も何か宴会食のようだが・・・。どうして頼んだビールと一緒にウニご飯と味噌汁が出てくるの?

 わずかばかりの刺身と小さな蒸しあわび、田舎料理のような魚の煮つけやあえもの、田舎ソバや大きな椀の汁物など・・・。品数だけを揃えればいいと言うものではなかろうが! 具の中身を含めてとてもおいしいとは言えない。

 なに? ホヤ貝にマンボウ? 我々は何もこんなに遠くまで珍味を食べに来た訳ではない。網焼きのホタテも食べられたものではなく、その上、イカとエビには湯どうしまでしてある。もうこれは話にならない。

 食いしん坊の我々としては珍しく食べ残し、そそくさと席を立つ。文句の一つも言いたいところだが今はその気にもならない。いや言っても何も始まらない。逆に言った方も後味が悪くなるだけだろう。箸すら持ちにくくなっていた腱鞘炎がやけにうずきだし、ひざまで痛くなってきた。


 一時期日本中でブームになり、第三セクターなる施設がたくさん生まれた。中には成功しているところもあるのだろうが、ほとんどは赤字に陥り、頓挫した話も良く聞く。これは競争原理のない日本の役所仕事の姿であろう。

 このホテル羅賀荘でも近辺には民宿くらいで大きな旅館などはなく、そこそこの売り上げさえあれば多少の赤字は役場が何とかしてくれるだろうし、最終的には税金や補助金が何かしらの理由をつけて助けてくれる。それより村民を雇用し、村の産物を消費することのほうが大事な事柄なのだろう。

 そんなところに他のホテルの料理を研究し、おいしい料理で客をもてなす・・・などと言う発想は起こりえない。建物をそこそこに美しく管理し、食中毒や客とのトラブルなど問題さえ起こさなければそれで良い。いざと言うときに申し開きをするための14000円であるのか?


 普通の人間なら収入が減れば何とか生活を切り詰める。中には悪事を考える者もいるだろうが、それはほんの一握りに過ぎない。私も商売をやめたときには夜遊びやゴルフなどきっぱりとやめ、車も処分した。ばあさんも頑張ってくれ、今でも大いに感謝している。入ってくる物が少ないのだから当然のことである。現在も多くのサラリーマンや商店主などの苦労を考えるだけで忍びない。

 だが役人や政治家と言う人種はそんなことは考えない。出て行くものには手をつけず、何とか収入を増やそうとする。それも簡単な方法で・・・。取り易い所からは増税し、新税をひねり出し、それでも足りず借金をする。現在それが積もり積もって日本全体で700兆円。当然利子もついてくる。と言うことは? 考えるだけで恐ろしい。

 債券を償還するためにまた債券を発行しなければならない。世間ではこれを自転車操業と言い、民間の会社ならとうに破綻している状態であるが、彼らにはわからないらしい。

 東大卒の、これだけ悪知恵が働く優秀な頭脳を持った人間には、こんな簡単な世俗の事例は単純すぎて理解できない? いやいやもっと単純に小学生が思いつくように考える? いざと言うときにはお札を印刷すればいいじゃん。ん?

 最初に国債を発行するに当たり当事の与党の長老は償還の方策などについての記者の質問に、「そのときに俺はもう生きていないよ。」 とうそぶいたという話である。その無責任さと無神経な人間性には怒りを通り越し悲しくさえ思えるが、事実、これが彼らの本音であろう。

 借金を背負わされた後世の国民はたまったものではない。だが、その金に群がる一部の企業や国民がいることも事実であり、こういう事が長年まかり通っている日本と言う国は、いずれ破綻する運命の坂道を下っているのかも知れない。

 国会議員にも政党ごとに政党交付金として税金が支出されているが、私に言わせればあれは立派な詐欺行為である。企業献金をなくする見返りに作った法律ではなかったのか? ところが現実は名前や方法を変えただけで中身は何も変わっていない。

 この世知辛い世の中何も下心がなく、金を出す者はいないのでは? 貰うほうも何がしかの気持ちが必ずあるのでは?

 貰った皆さんは無いと言い張るが、それでは聞きたい。何も無しにお金を頂戴? ということはあなたは乞食? それが言いすぎなら、あなたはよほど無神経なただの厚かましい人?

 乞食でも恩義は感じるだろうし、如何に厚かましい大阪のおばちゃんでさえ、もう少しは人情の機微に触れることが出来ると思うがいかがなものだろうか。

 ザル法、拡大解釈。そんな法律にはもううんざり。何とかならない? これ、正直な気持ちである。これでは子供たちも見習って、悪くなって行くのも仕方がない?


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