旅 日 記


信州 紅葉狩り


高ボッチ、春日渓谷〜美ヶ原 2003年10月16日(木)


 久しぶりにカミさんが連休である。天気予報では絶好の行楽日和。一日目にたまった家事を済ませ、二日目に紅葉狩りへ行くから調べておいて・・・と言われていたが、この時期紅葉前線はまだ近くまでは届かず、日帰りとなるとかなり難しい。

 こういうときにはインターネットが威力を発揮する。紅葉情報を頼りにいろいろ検索。ここ最近気にかかっている霧が峰ビーナスラインから美ヶ原高原にも行ってみたいが、日帰りには少し遠い? 御嶽山ぐらいならなんとかなるか? と言うことで赤沢自然休養林、御岳ロープウェイ、開田高原へ行くことにした。

 ところが15日午後の6時ごろ、ネットのニュースで御岳ロープウェイでの乗客二人が死亡する大事故の記事を発見。これが一両日ずれていれば我が身? 事故の当事者には誠にお気の毒なことであり不謹慎ではあるが、明後日行こうとしている者にとってもこれは一大事である。さてどうする?

 ならば思い切って今夜から出かけ、どこかで一泊するか? 大いに悩んでいた我が家の大蔵大臣、あわてて銀行へ向かった。今は便利になったものでこの時間でも金がおろせる。急いで準備。防寒着も引っ張り出さなければならず大忙し。それを横目に私は仮眠。夜中の2時に出発しよう。

 ある程度下調べはしてあったにせよ準備不足は否めない。茅野へ出る前に高ボッチ高原へも? ならば1時に出発? これでは出かける前から疲れてしまうじゃん。


 国道21号線から国道19号線をひたすら走り、中津川4時。ここでも大いに悩まされる。塩尻まで高速道路を利用すれば高ボッチ高原のご来光に間に合うか? だが見られる保障は無い。雲海だけでも見ることができれば良しとするか? 相談しようにもぐっすり眠っているようだし起こすのも可哀そう。ならばここは通行料を節約するか? どうやら大蔵大臣のケチケチ精神が我が心にも浸透してきたようだ。

 高ボッチ高原6時15分。うっすらと霧がかかり、かなり寒い。そう言えば途中の奈良井宿では温度表示が1度を示していた。しかし山頂の駐車場へ着くころには高く上った太陽の光に溶かされるように霧も晴れ真っ青な空、雲一つなく見事な雲海の彼方には北アルプスの峰々、これって最高じゃん。

 槍、穂高・・・あれは? 少し小さめだがブロッケン現象だ。随分昔に見たことがあるがこれは珍しい。慌ててカメラを取り出しているうちにはかなく消えてしまった。残念! だが始めて見たカミさんは大感激、二度目の私もまことにラッキーであった。

 改めて南から御岳、乗鞍、穂高連峰、槍、常念、爺ヶ岳、鹿島槍、白馬三山。案内板を見なくてもある程度はわかる。

 山頂まで400mの標識に誘われてなだらかな斜面をゆっくりと登ってゆく。枯れた草に下りた霜がお日様の力で溶かされ、その水玉たちがキラキラと輝いて歓迎してくれているようだ。

 見事な雲海の上に頭の先だけ覗かせた小さな富士山、右を見れば大きな御嶽山、八ヶ岳も大部分が雲に隠されている。雲の隙間からはかすかに諏訪湖の姿も眺められ、ピンと張り詰めた空気が体をシャキッとさせてくれる。

 三脚を据え、大きなカメラを構えていた三人の先客は早くも帰り支度。

 「もう少し早く来ればブロッケン現象が見られたよ。」

 「下の駐車場から見ましたよ〜。」 

 どうもご親切様・・・。再び駐車場へ戻ると雲海はほとんど消え、北アルプスがくっきりと眺められた。わずかな時間だが太陽光の威力は計り知れないものがあるのだろう。

 茅野からビーナスラインへ、ほどなく蓼科湖。真っ青な空、そして青い水が澄みわたる湖岸ではかえでの葉が朝日に照らされ真っ赤に燃えていた。

 真向かいの白いホテルの後方の蓼科山が鏡のような湖面に逆さまに映し出され、これはまるで絵葉書の世界である。

 今日の泊りは白樺湖周辺? いや美ヶ原まで行けるかな? そこでまず王ヶ頭ホテルに電話。ダメ元だったのに幸運にも空室があると言う。となると少し急ぐ必要があるかな?

 道中の景色を楽しみながら到着したピラタス蓼科ロープウェイの山麓駅では少しばかり晩秋の気配が漂い、上の方はもはや遅いかもしれない。帰りかけている人に上の様子を聞いてみると、

 「美しいですよ。」

 では登ってみよう。

 観光バスが着いたところらしくロープウェイは超満員。付近は針葉樹林帯でダケカンバの葉が色付き、少し地味な感じになっているようだが周りの山はまさに秋本番。

 ところが到着した山頂駅は目の前が黒いごつごつとした溶岩台地で木と言えば濃い緑ばかり。その木はシラビソと言い、それが部分的に枯れはて白と緑のまだら模様になっている。縞枯れ現象と言うそうな。

 ここは坪庭と言うそうで北八ヶ岳の登山基地だそうな。そんなことも知らずに登って来たのだから何をかいわんや。下界の風景も全く見えず、秋を思わせるものは何もない。

 しかし、なにも登山をしなくても手頃な散策コースもあるそうな。これはこれでまずまずの趣だが我々は今回紅葉を求めてやってきた。ここを散策するよりもっと行きたいところがあり時間ももったいない・・・と早々に切り上げ、次のロープウェイで下りることにした。

 「なにしてんねん。往復1800円もしたんやで。二人で3600円や。もっとよう調べとかんかいな。」

 ご指摘はもっともなこと、これは面目ない。

 美しい周りの紅葉にしっとりと溶け込んだ女神湖から幸運にも無料開放されている夢の平スカイラインへ向かう。少し登ったところから真下に女神湖、そして遠くには小さく白樺湖も見えている。

 御泉水自然園へ寄ってみる。ここでも地味に色付いた木々とクマザサなどの緑が勢力を分かち合い、うまく調和が取れた静かな森だが、よく見ればいろいろな植物も豊富で、花が咲く美しい緑の季節のほうが魅力的なのだろう。

 やがてドラマチックな紅葉劇場の幕開けである。カーブを曲がるたびに舞台が変わり、次の場面が展開される。そのストーリーはつながっているようであるが、全く別な場面にも感じられ、見ている者に驚きと感動を与え、また次の場面への興味をそそらせてくれる。

 あまりにも素晴らしい舞台にスローモーションで再現して欲しく、走る速度も遅くなり、ついには舞台を止めてしまった。それが数多く何度も何度も繰り返され、シャッター音が鳴りやまず、一向にドラマが前へ進まない。

 ようやく大河内峠に到着。目の前の主役を引き立てる遥かな遠景。下に見えているのは何と言う町なのだろう。ここまでどのくらい走ったのだろうか? たびたび止まったせいか全くわからない。かなりの距離があったとも思えるが、案外近かった?

 この峠からは登山道もあり、20台ほどの車が駐車してあるが、道中ではあまり会わなかった。これほど紅葉が美しいところもそんなに多くない。なのにこの車の量、信じられない。

 実を言えば私も2〜3日前までは全く知らなかった。これもインターネットのおかげでありガイドブックだけではわからない世界を教えてくれる。これからは皆に知らしめることとなり、人も車も増えていくだろうが、このまま静かなところであって欲しいと思う。

 峠からは簡易舗装のひどいデコボコ道。やがて第二幕が始まった。もはや何も言えない。ただ口をポカンとあけ、何も考えることが出来ず、またまた何度も車を止めキョロキョロ、キョロキョロ。

 容量が四百数十枚のCFカードの残り枚数が100を切っている。いくらデジカメとは言えこれは撮りすぎ? またもカミさんは停車を命じた。これではいよいよ前へ進まない。

 この第二幕の背景には遠景ばかりかゴツゴツとした岩場まで現れた。これ以上なく変化に富んだ風景と素晴らしく色づいた山々、そして紅葉、日本はなんと美しい国なのだろう・・・と改めて実感。

 ようやくその第二幕、春日渓谷も終わりに近づいたようだ。このまま先へ進む予定であったがもう一度この素晴らしい世界を味わいたいとUターン。

 ただこれだけ舞台が止まると本日の終演に間に合うのだろうか? 事実このままでは予約した美ヶ原への到着が遅くなりそうな気配である。


 珍しいことに今日はソフトクリームにもケーキにもお目にかかる機会が無かった。いや昼食も運転しながらパンとおにぎりで済ませたくらいである。白樺湖に差し掛かり、

 「おいしいケーキが食べた〜い。」

 と女王様。ドライブの疲れも癒すべくちょっと休憩したいが、それより少しでも早く美ヶ原に到着しなければ・・・とやむなく通過。

 改めてビーナスラインを登り始めると白樺湖の全景と色付いた周りの山々が美しく見えてきた。

 木が全くない車山はススキが風にそよぎ、なだらかな斜面を覆っている。

 八島湿原は青い水を湛えた小さな池と褐色の草原が夕日に輝き、とても美しい。

 お日様が西に傾き、周りの山も日の陰に隠れることが多くなり、ただひたすらに先へ進む。

 無料開放された三十数Kmのビーナスラインは、これはこれで格好のドライブコースだが、昨年までは全線の通行料金が2900円。これは高い? 美ヶ原が近くなると黄葉もそれなりに見られるが、これなら新緑のシーズンのほうが魅力的かな? ならば値打ち有り?

 早くも夕暮れの風情が漂う4時過ぎ、山本小屋に到着。しばらく待って迎えのマイクロバスで王ヶ頭ホテルへ向かった。

 美ヶ原は平らな牧草地で、たくさんの牛たちがのんびり草を食んでいる。冬支度で里のほうへの移動が始まっており、残っているのは半数ぐらいだそうな。4Kmほどの道はデコボコの地道で車がとても揺れる。

 「なんで舗装してへんねん。」

 と堺生まれの大阪のおばちゃん。これがこの大自然になじめない者の証か?

 林立するテレビ塔と同居する王ヶ頭ホテルは思いのほか立派な建物である。ここが美ヶ原の最高地点で何も30分もかけて王ヶ鼻まで歩かなくてもここからの眺望が最高らしい。ここまでならば誰でも来ることができる。いかに年をとっても、ハイヒールを履いてでも・・・。

 チェックインのあと急いでホテルの裏へ。ケルンが積まれた王ヶ頭では早くもお日様が大きな雲に隠れ、その隙間から照らすわずかな夕日が周りの雲と晴れた空を茜色に染めている。日が沈むと急に寒くなってきた。

 オイオイ、部屋に暖房が入ってないじゃん。スチームの入れ方がわからずウロウロ、ウロウロ。この手の暖房はすぐには暖かくならないのだから、この時期でも最初から入れておいてほしいと思うのはわがままかな?

 食事はまずまず。十分な量にもはや満腹。だが何かの勘違い? 最後のデザートと同時に、

 「忘れていました。」

とその係りである女主人らしきおばさん?が岩魚の塩焼きを運んできた。

 なによ、それ〜・・・一箸つけただけで・・・。給仕をしてくれていた笑顔が可愛い若い女の子の困ったような申し訳なさそうな顔・・・。ここはその子の笑顔に免じ、許すとしますか。最も二人とも川魚はあまり好きでもないことだし、まあ、いいっか・・・。

 部屋の明かりを消すと窓から見えるたくさんのお星様。だが9時過ぎにもう一度見てみると今度はガスで真っ白の世界になっていた。暖房がなかなか効かなかったせいかカミさん、少し風邪気味? いつものように持って来た風邪薬を飲んで早めのご就寝。大事無ければよいが・・・。


美ヶ原 安房峠 2003年10月17日(金)


 美ヶ原、朝の5時、カーテンを開けるとほんのりとした明るさが満天のお星さまをかき消している。目の前には白い絨毯。雲海? 外には早くも人の姿も見られる。

 カミさんを起こしてしまったらしい。

 「大丈夫や。私は部屋から見るさかい行ってきぃ。」

 あわてて身支度をして飛び出すとホテルの前の小さな広場には十数人の人がカメラを構え、日の出を待っていた。予定では5時40分ごろらしい。出たときには感じなかったが10分もジッとしていると寒さが身にしみてくる。今日は何度くらいだろう。昨日の朝はマイナス4度であったそうな。

 徐々に明るくなってくると見事な雲海が浮かび上がり、雲の端が地面に沿って谷へ向かって流れ、幻想的な世界を演出している。 遠くにはまだ黒い富士山の姿。 やはり北アルプスから見たものよりかなり大きい。

 雲海の上に出る朝日は予定より15分ほど遅れ、ようやく雲が輝きだした。上空に雲は全く見られない。真っ赤な太陽が顔を覗かせたそのときカミさんも飛び出してきた。やはり辛抱が出来なかったのだろう。

 ところが・・・。

 「なあなあ、星野監督が辞めんねんて〜。今テレビのニュースで言うてたわ。」

 写真を撮るのに夢中だった私、

 「今そんなこと聞いてる場合やないねん。・・・ ・・・。ん? 今なに言うた?」

 いやはや、我々はなんと愚かな夫婦なりや。早くもお日様は雲海の帯から抜け出し、強烈な光を投げかけだしていた。

 急いでホテルの裏側へ回り王ヶ頭へ。雲海の上に北アルプスの峰々が美しく整列し、柔らかな朝日を浴びて輝き、おはよう・・・とさわやかに挨拶をしてくれている。素晴らしい眺めにしばし動けず。うっとり・・・。


 元の場所に戻ると早くも雲は消え広い美ヶ原には本来の草原が広がっていた。あれは牛さんたち? と言うことは君たちはこの寒さの中、それも雲海の下で一夜を過ごしたということ?

 霜も解かされ水滴となり、その水玉たちに覆われた草原が高く上った太陽に照らされ、キラキラと光っている。まるで海が輝いているようだ。

 「きれいやな〜。こんなん初めて見たわ。」


 8時30分の送迎バスで山本小屋へ。車は夜露に覆われていたらしいが早くも半分ほど乾いている。太陽の光に当たっていると寒さはさほど感じない。カミさんがお土産を物色中きれいにふき取り、いざ松本へ。

 ホテルの人は扉峠へ戻るより武石峠から美ヶ原スカイラインが紅葉もきれいだと教えてくれた。ほどなく美ヶ原高原美術館。広い空間に子供の遊園地のようないろいろな物体が並んでいる。これが彫刻? これが芸術? 立派な美術館だが我々には全く興味のない世界である。こんなところに何だか不釣合い? だがそんなに違和感はない?

 ところが少し走ると通行止めの看板が現れた。工事で15日から通れないらしい。ホテルの人ももっと確かな情報を教えてくれないと・・・知らなかったでは済まないだろ? そう言えば他の件で聞いた時のフロントの女の子は忙しいのもあったのだろうが、何だか無愛想だったっけ。仕方がない、Uターンしよう。

 紅葉の舞台は扉峠で第三幕が切って落とされた。第一幕、第二幕の華やかな舞台とは少しばかり趣が異なり、黄色が中心の世界が広がっているが、これはこれで見事な眺めである。特に白樺の木が美しく色付き、何ともいい感じ・・・。

 それにも増してこの幕の照明さんは見事な腕前で、この光に当たればどんな役者でも名優にしてもらえる。もちろんヘボチョコカメラマンにとってはこれ以上の贈り物はない。青い背景に白く浮かぶ半月がまたいい小道具ではないか。

 遥か上方に王ヶ頭ホテルとテレビ塔を中心に美ヶ原の広い台地が眺められる。先ほどまであんな所にいたのか・・・何だか不思議な気分である。

 松本市内は通過。一路第四幕が待つ安房峠へ向かう。

 今までいろいろ知らない道を走って思うことに交通標識の見難さ、不親切さ、これ何とかならないものだろうか。街路樹に隠され見えない標識は論外として、暗い道では見にくい標識も多い。照明版が高くつくなら蛍光塗料にするとか何とか方法はないものか。大型車限定の標識も補助標識で区別されているが標識自体を普通車と色分けするとか、もっとわかりやすいように工夫をする余地は十分あると思うがいかがなものか。

 一度時間帯一方通行違反で捕まったことがある。不注意と言われればそれまでだが始めて走る道、小さな字の補助標識、その上街路樹の葉が茂りわかり辛かった。その他、時には一目では見られないような複数の標識が、それも6つも7つも・・・これでは渋滞覚悟で車を止めてじっくりと見るしか対策はないではないか。これは小型車用の標識、これは大型車用の標識、またこれは特殊な規制の標識です・・・と何か特徴がある標識であったならわかったかもしれない。

 それとせめて幹線道路にはわかりやすい表示にして欲しい。地元の人にしかわからない地名を記されても意味がない。遠くから来て初めて走る道に戸惑うドライバーも多いはず。ウロウロして交差点を通り越し、国道××線の青い補助標識にホット胸をなでおろしたことが度々あるのは私だけだろうか?

 今日も松本市内を抜け国道158号線へは松本インターチェンジを目指せば間違い無いはずが、出てくる標識は松本城とあとは知らない地名ばかり。松本駅の標識を見てとりあえず向かった。それが正解であったらしく、やがて松本インターチェンジへの標識。ところがその標識に従い右へ回ると次の大きな交差点には直進は松本駅、右には上田と出てきたが松本インターチェンジの名前はどこにもない。慌てて地図を広げると松本駅を右に回りすぐ左へ行けば国道19号線に出るとわかり、駅を曲がると左長野道との標識。ならば先ほどの交差点にもなぜ表示をしてくれないのか。

 知っている人に標識などいらない。初めて走る知らない者にわかるような標識でなければ意味がない。それと最初は松本インターチェンジでなぜ次は長野道なのか。長野道には近くに塩尻北インターチェンジもあるではないか。

 もっと走るものに優しい標識にして欲しいと思うのは贅沢? そして私だけ? あっ、そうか。業者と結託し、もっとカーナビを普及させるため、わざと不親切な標識にしてある? いずれ天下り先候補の一つ?


 国道158号線は観光バスも多く通行量はかなり多い。やがて沢渡を過ぎ、観光バスは上高地方面へ。他の車は平湯方面へ。私はなお安房峠を目指し旧道を登って行く。

 第四幕の幕開けである。もう何も言えない。今回の旅のエピロ−グにふさわしい舞台が繰り広げられていた。

 大道具さんもこれ以上の仕事は出来ない。真っ青な空。澄み切った空気。この舞台を盛り上げる素晴らしい雰囲気。ペンキの色ももはや使い果たした。これ以上何をなすべきなのか?

 なのにこれでもか・・・と駄目押しの一打。穂高連峰が現れた。いやこれはどちらが主役かわからない。まずは前穂高の雄姿。前回見たときは雪を被っていたが、目の前にはごつごつと岩がむき出し、凄みを感じる青黒い三つの峰が迫っている。

 そして、それを取り巻く青い空とカラフルな舞台装置。次には奥穂高も加わり、迫力を増してゆく。なお名脇役の噴煙を上げた焼岳の登場。舞台はクライマックスを迎えようとしている。

 やがて安房峠を過ぎ、やや小さくなった穂高連峰の最後の姿が消え、舞台の幕は下ろされた。


 平湯の周りの山も結構いい感じ。五平餅とみたらし団子が今日の昼食。何か胸が一杯で、これで十分である。それとカミさんはお決まりのソフトクリーム。

 名舞台の余韻を徐々に冷ますように平湯大滝へ、

 そして朴ノ木平のコスモス畑にも・・・。

 高山からはまだ紅葉には早い飛騨せせらぎ街道を経て、郡上八幡から東海北陸道を利用、9時過ぎに帰り着いた。

 盛りだくさんの充実した行程に、

 「思い切って出かけてよかった〜。」

 とカミさんも大満足。またまた不謹慎であるが、あの事故のおかげ? いや、これは失言。亡くなられた方のご冥福をお祈りしたい。


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