旅 日 記
一年計画の尾瀬ヶ原
尾瀬ヶ原 2007年6月4日(月)
♪♪ 夏が来れば思い出す はるかな尾瀬 遠い空 ♪♪
少しばかり山登りをしていた若かりし頃、それはもう45年前? もうすぐ半世紀じゃん。そう考えれば良くぞ生きながらえてきたものだと感慨もひとしお?
そのころから一度は行ってみたかった尾瀬ヶ原、だが関西からは東京経由となり、あまりにも遠い存在であった。それが現在では上越新幹線でも、また高速道路を利用すれば車でも簡単に行ける。この40〜50年、世の中の変わりよう、半端ではない。
その果たされなかった永年の夢が山歩きの経験など全くない我が家のおばはんの一言で実現するのだから、なんとも皮肉で情けない話ではある。
昨年の今頃のこと。例年のごとく尾瀬ヶ原の水芭蕉の映像がテレビから流れていた。何を思ったのか急に、
「来年は水芭蕉を見に尾瀬へ行く。」
と言い出したのだ。
「尾瀬なんか車で簡単に行けへんで〜。」
「そんなんわかってるわ。歩いたらええんやろ。」
「まともに歩いたこともないのによう言うわ。何時間も歩かなあかんねんで〜。」
ただ、そんなに険しいところではないかな? とは言うものの、ばあさんはもちろんのこと私も度重なる入院などもあり、体力には全く自信がない。
だが調べてみると1時間ほど歩けば到着し、後は平坦な道。それも木道が整備されており歩きやすそうだ。ならばあながち不可能なところでもない?
となると少し鍛えなくてはならない。そこで毎日朝の散歩を始め、運動もするように心がけた。これまでもできるだけ運動はしてきたが目標があってのことではない。
最初は20分も歩けば息が切れていたのに徐々に距離も伸び、1時間歩いても平気になった昨年の9月、まずは足慣らしに大台ケ原へ、そして10月、腕試しと紅葉狩りを兼ねて千畳敷カール、栂池、そして谷川岳天神平へ山登り、いやハイキングへ出かけたのである。
さて今年もいよいよ水芭蕉の季節。どうしても行く気? 大丈夫?
「行くと言うたら行くで〜。」
ばあさんがその気なら私に異存などある訳はない。そこでいろいろ調べてみた。時期的には5月末から6月初めだろうか? しかし今年は雪が少なかったせいか水芭蕉の開花が早く、すでにピークは過ぎている? その上見頃だった先週は天気が悪かった。ならば今週が最後のチャンス?
だが2〜3日前からばあさんの体調が優れず、食欲も無い。どうやらお風邪をおめしになったようだ。鬼の霍乱? いや、それは心の中では思えども決して口には出せないが・・・。ならば無理をしない方が賢明だろう。来年もあることだし・・・とすでにその気がなくなっていた。ところが3日の午後、仕事から帰ってきた鬼、いやおばはん、
「調子も戻ったし、食欲も出てきたさかい、明日行くで〜。」
なに? それは少し無謀では? 最低でも7〜8Kmは歩く必要があるのだから無理はしない方が賢明だろう。また来年のことにすれば?
「来年のことなんかわからんやろ。行ける時に行っとかな。」
う〜ん、たしかにこの歳ですから・・・結局押し切られてしまった。まあ、この結果は最初から読めていた? それを言われると少し辛いものがある。
8時30分、戸倉の第一駐車場に到着。マイカー規制のため、ここから先へは行けない。少し雲はあるが青い空から差し込む朝日がまぶしく、爽やかな風が頬をなで、とてもすがすがしい朝である。
昨夜は7時過ぎから3時間半ほど熟睡し、日付が変わる少し前に出発したからすこぶる好調。ばあさんも元気そうで一安心。
切符を買って待つことしばし。8時50分発の定期バスは少し遅れた上、前のバス停からの乗客でほぼ満員。何とか乗れたが、バスに乗れなかった人たちは乗り合いタクシーがあったそうな。その上次から次へと追い越され、結局鳩待峠に到着したのは一番最後じゃん。どう言うこと?
9時50分、まだ高く積み上げられた雪の山に見送られ、敷かれたマットで靴底をきれいにしていざ、尾瀬ヶ原へ。この鳩待峠から山の鼻までの行きは下り、帰りは登りだけを頑張れば、あとは平たんな木道歩きが楽しめるそうな。
その途端、急な下りが現れた。それも石がゴロゴロと転がる悪路じゃん。こんな道が続くの? しかしそれは少しだけで階段状に良く整備された道となり、やがて木道が現れた。見上げれば木の間隠れに残雪で化粧した大きな至仏山に後押しされ、新緑と鴬の鳴き声に励まされてひたすら下る。
人はとても多い。早足の人たちに道を譲りながらマイペースでゆっくりゆっくり。周りには水芭蕉も現れたが少しとうがたっている? やはり少し遅かったか? 一本の山桜が少し寂し気に咲いていた。
なに? 鐘? 熊よけ? まあ、今日はこれだけの人だから熊も出てくるのをためらうかな?
ヘリコプターの轟音に驚かされる。木道の付け替え工事がなされていて材料の木材を運んでいるのだが、生い茂る木々の少しの隙間から降ろさなければならない。ちょっとの判断ミスが大事故になる? なんと恐ろしいことよ。ご苦労様・・・。
川上川の橋を渡り11時10分、ようやく山の鼻に到着。まわりには人が溢れている。平日でこれ? 昨日の日曜日などはどうだったのだろう。ビジターセンターには尾瀬トレッキングガイドのパンフレットがあったが協力金10円とは安すぎない? トイレは100円、これもありがたいことである。
さあ、がんばってスタートしますか。なに? ちょっと待て? ばあさん、ソフトクリームだそうな。これから本番への栄養補給? なるほど・・・。ん?
さていよいよ尾瀬ヶ原を目指す時がやってきた。思えば昨年の6月にばあさんが言った一言 「来年は尾瀬へ行くで〜。」 それが実現しようとしている。こんな日が来ようとは・・・考えもしなかったのは事実であった。そう思えば感慨もひとしお・・・。
水芭蕉の大群落が広がってきた。少しピークは過ぎている感じもするが、遠くからの眺めは見事の一言。雲は多いものの正面には大きな燧ケ岳がそびえ立ち、振り返ればまだら模様に雪化粧した至仏山、そしてウグイスとカッコウの鳴き声が芽吹き始めた浅緑の森の中に響き渡っている。そんな雰囲気の中をルンルン気分で木道を歩く・・・これが尾瀬の魅力なのだろう。ばあさん、感極まったように、
「思い切って来て良かった〜。」
ほどなく現れた地塘だが、なんだか黒っぽい。良く見てみると水に浮いているのは油? もしかしてこれは石油? と言うことは堆積物が早くも化石化していると言うこと? この不思議な現象の実態はなんなのだろう。
やがて牛首の分岐点。ベンチが設けられてあるが、たくさんの人が休憩していて座る場所もない。しかしちょうど団体さんの出発らしく、一気に立ち上がってくれた。ちょうどお昼時。ならば我々もお昼にしますか・・・と持参のおにぎりをほおばる。
見渡せばまだ冬枯れの広い平原、山裾には美しい新緑とグレーの木が混ざり合い、白樺の木の白さがひときわ輝き、それらを見守る高い山。その中で食べるおにぎりだからおいしくない訳がない。
まだまだ続く木道を正面の大きな燧ケ岳に向かって竜宮を目指す。やがて小川のせせらぎが多くなり、
黒っぽい池塘が水芭蕉の群生に変身、至仏山と水芭蕉・・・これはたまらない。その水芭蕉だがちょうど見頃の小さくて可愛い花も多くなってきた。奥へ進むに従い開花時期も遅くなるのだろう。
今度はリュウキンカが多くなり、ついには大群生。黄色と白の競演、これは素晴らしい、そして美しい。ここはまさしく竜宮か?
地塘ではやかましいくらいの蛙の鳴き声。しかしいくら探せどもその姿が見えない。ついには立ち止まってジッと観察。しかし見つけたのはいもりとたくさんの岩魚?だけで蛙の姿はない。これでは気になって今夜は眠れない?
やがて竜宮小屋が見えてきた。この大勢のハイカーのほとんどは日帰りらしい。上着には観光バスのものだろうか、それぞれのツァーのバッジ。しかし竜宮小屋が近くなるに従い、その人たちの姿も少なくなってきた。そろそろ帰りの時間かな?
我々は今夜、山小屋で泊まる。この竜宮小屋は相部屋だが、その先の見晴には個室で泊まらせてくれるところもあり、鳩待峠で電話をして予約を入れた。この尾瀬の山小屋では全て予約が必要だそうな。しかしこのたくさんの人出の割には泊まる人は少ないらしい。
竜宮小屋を過ぎたところにある少しだけの林にはまだ山桜が咲いていた。その林を抜けるとまた広い平原、ここまで来ると極端に人が少なくなり、ようやく静かな尾瀬に変身。これが尾瀬の本来の姿だろう。
やがて今日の宿泊地、見晴の山小屋が見えてきた。この見晴には6軒の山小屋があるが、どこでも同じだろうと一番大きな弥四郎小屋にした。1泊2食8400円。
2時50分到着。お疲れ様・・・。鳩待峠からは距離にして9.3Km、想定時間3時間とあるが我々は5時間もかかっってしまった。まあこれは食事休憩や写真を撮りながらだから・・・いや、やはり歩くのが遅い?
ばあさんは山小屋初体験である。え〜? テレビもないの? 新聞は? 廊下はきしむし、スリッパの音はうるさいし、周りの部屋の話し声が丸聞こえだし、窓も隙間だらけで寒そうだし、お風呂は4時から6時までしかはいれないし、石鹸やシャンプー、歯磨き粉もダメだと言うし、消灯が9時と言うのも早すぎるし、食事の後は何もすることないし・・・。
しかし山小屋とは言えここでは個室に泊まらせてもらえるし、トイレは綺麗だし、風呂にも入れるし・・・。と言うことはこんなの山小屋ではなく、ちょっとした民宿じゃん。
これで驚いているようでは本当の山小屋、それも最も込み合う時期、雑魚寝はおろか廊下で寝なければならないところに泊まらせれば卒倒する? やはりお嬢様育ち?・・・で、お上品??・・・なばあさんには強烈な初体験だったようだ。
尾瀬ヶ原から草津温泉へ 2007年6月5日(火)
草津温泉から軽井沢へ 2007年6月6日(水)
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