旅 日 記

日本のテッペンに到着

2004年7月11日

 ついにやってきました、日本のテッペン。宗谷岬は北緯45度31分だそうな。時間は午後2時24分。

 今年の2月に九州最南端、佐多岬を訪れた際、宗谷岬まで2700Kmの標識を見て北海道への憧れがより大きなものになってはいたが、まさかこんなに早く、それも同じ年に訪れることができようとは・・・そう思えば感慨ひとしおである。

 だが低い雲に覆われて海の色は冴えない。道中もこの旅行を象徴するような天候で快適なドライブとはいかなかったが、道北らしいひなびた町、どこまでも続く牧場や自然がいっぱいの風景に癒されてようやく到着したところである。

 今朝は紋別でガソリンの給油から始まった。関西の車は時々来るが奈良ナンバーは珍しいらしい。

 「おじさん、35度の世界で一度住んでみる?」

 「そんなの到底生きていけないっしょ。」

 ところが今年の6月はとても暑かったそうな。それが7月に入った途端この寒さ、とは言えいくら暑い暑いと言ってもたかが25度止まりだろ?

 国道238号線、通称オホーツクラインを北上する。やがてオムサロ原生花園、

 そして流氷岬。しかしオホーツク海から吹き付ける強い風、低くたなびく厚い雲、白い波しぶきに咲く花も少なく、うら寂しい雰囲気が漂っている。これがオホーツク? いや、晴れればもっと違う姿を見せてくれるのだろうか。

 次に興部町の 「ロイズファーム」 へ。 カミさん、お世話になっているお方にここからハムを送る予定をしていたそうな。なに? ついでにおこっぺアイス? それも最初から決めていたんだろ? 北海道何個目のソフトクリーム?

 ところで今夜は稚内泊まりだが明日はどうする? この天気では礼文島も晴れないだろうが、もう予定を延ばすこともできない? いや一日は休息日を予定していたから明後日にする? 礼文島はホテルも取れないだろうし日帰りの予定だったが、もしホテルが取れれば泊まろうか? 民宿でも何でもいいじゃん。

 そこで順番に電話をかけ始めたがやはりどこも満室。ところが6軒目で空いているとの返事。ラッキー。旅館一番館、一泊二食一人8500円だそうな。

 これで予定も立ち明後日は利尻島へも回れる。13日は稚内、14日に旭岳温泉、15日に富良野周辺に宿泊し、16日に美瑛、富良野のラベンダーを見てその夜のフェリーに乗船、これで全て予定がたった。

 突然現れた自転車の集団に驚かされる。第23回インターナショナルオホーツクサイクリング2004が開催されているらしい。道の駅マリーンアイランド岡島では中継点らしく、たくさんの選手でごった返していた。

 勿論時々一人ぼっちの真っ黒に日焼けして大きな荷物を積んだチャリダーにも出会っていたが・・・。北海道一周、いや道北だけでもどれくらいかかるのだろうか?

 ところがとにかく寒い。道路際の温度表示はついに10度、これでは辛抱たまらず暖房を入れる。7月も10日を過ぎてまさか暖房を入れて走るとは思わなかった。ここはどこ? これも日本? ライダーやチャリダーは・・・考えるだけでも身震いがする。

 到着した宗谷岬ではかなり強い風が吹き、ついにジャンバーを取り出す始末。高いところへも行く予定であったため一応の準備はしてきた。

 お決まりの到着証明書を買い、最北端ガソリンスタンドで給油。だが紋別で満タンにしてきたから8リッターしか入らない。それでも気持ちよく記念品をくれる。なんだか申し訳ない気分である。

 続いて訪れた宗谷丘陵の広大な風景にも驚かされる。ここには黒い牛がいっぱい、どうやら肉牛らしい。と言うことは牛肉もおいしいのだろうか?

 稚内ではまずホテル探し。だがどこでもいいだろ? と目の前のホテル滝川へ飛び込んだ。ツインの部屋でルームチャージ14480円。これが新しくてきれいな部屋で大当りである。

 さて明日は礼文島だがもっと寒いのでは? ジャンバーは持ってきたがズボン下までは用意していない。これだけ寒ければ少し不安? そこでスーパー西條でズボン下探し。いくらなんでもこの時期、あるにはあったがサイズ切れ、そこでタイツを買うことにした。

 続いて 「北の味心 竹ちゃん」 でタコシャブとお寿司の夕食。初体験のタコシャブ、これ結構いけるじゃん。お寿司もまずまず。

 お吸い物に入っていた小さな帆立貝の貝殻を留守番をしてくれているメダカちゃんのお土産に持って帰ろうとすると、優しい女の店員さん、

 「これに入れて」

 とビニール袋を持ってきてくれた。

 「こりゃ〜なまら親切で無いかい?」

 「上手だね〜。いつでもここに住めるよ〜。」

 何だかその気になってきた?

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