旅 日 記
弘前城の桜 最後のみちのく?
南三陸町から平泉へ 2012年4月27日(金)
朝から強風の上雨模様である。今日は水沢温泉へ向う。8時過ぎ、お世話になったホテルルートイン郡山をチェックアウト。フロントを始め、皆さん、とても親切で快適な4日間を過ごさせていただいた。また都会の真ん中だと言うのに駐車場が広く、その料金が無料と言うのもうれしいね〜。
ここ郡山市、そして先日訪れた福島市、会津若松市では震災の被害はほとんど見受けられなかった。だがこんなものではないはずである。ならば一度この目で確かめたい。
いつだったか、南三陸町では仮設の商店街もでき、名物のキラキラ丼も復活したとテレビが伝えていた。ならば復興の手助けになるかは別にして、お昼にそのキラキラ丼とやらをいただきに行こうではないか。
高速道路で鳴瀬松島インターチェンジまで。その先は建設中の高速道路が登米東和インターチェンジまで無料開放されている。そこから南三陸町までは国道398号線で10Kmほど。
南三陸町・・・私にはその名前になじみが無い。2005年に志津川町と歌津町が町村合併したそうな。2002年の東北旅行では三陸海岸沿いに南下した。その時の思い出が蘇る。北山崎から宮古、浄土ヶ浜、釜石、碁石海岸、気仙沼、岩井浜、そして歌津町、志津川町から女川町へ、牡鹿半島の先端まで走り、石巻を通り、松島から高速道路に乗って帰ったっけ。
歌津町はその年、ワモンアザラシの子供、ウタチャンで話題になったことが思い出される。志津川町とともに通過しただけだったが、のんびりとした田舎町だった記憶がある。また志津川町から女川町まではリアスブルーラインの名前につられて走ったのに山道ばかりで海が見られず、がっかりしたっけ。
そのどの場所もが気にかかっている。高速道路からは仙台市内の一部も見られたが、やはり震災の爪あとはところどころに残り、それが石巻に入ると徐々に津波被害の大きさを認識することとなる。
さて、南三陸町だが・・・。国道398号線は徐々に高度を下げていく。何も無かったような静かな佇まいではないか。少し家が見えてきたが、あれは仮設住宅だろうか。やがて南三陸さんさん商店街に到着。時間はちょうどお昼時。雨は相変わらず降り続いていた。
早速キラキラ丼の昼食をいただく。質素な仮設のお店だが、明るく元気なお嬢さんが迎えてくれた。どんな顔をしていただけば良いものやら・・・と少し緊張気味の二人だったが、彼女の笑顔に救われ、こちらが元気をもらえたようだ。
おいしくいただき、お勘定。頑張って下さい・・・それしか言えない不甲斐なさ、もどかしさを実感する。雨もようやく小降りになったようだ。
その仮設の商店街を一歩出て、この世のものとは思えない光景に驚愕。これはひどい、ひどすぎる。目の前の合同庁舎であった建物の無残な姿・・・。3階建てだが、そのはるか上を津波が襲ったそうだ。今も外観だけが哀れな姿で残されていた。
その横にはたくさんの瓦礫が高く積まれている。これは一日でも早く何とかしなければ・・・。今はまだそうでもないが、この夏はどうなるの? 悪臭もするだろうし、蚊や蠅は?
今、全国で問題になっている瓦礫の処理問題。そんな悠長なことを言っている場合ではない。早急に結論を出さなければ・・・。国会議員の皆さん、全国の知事さん、市長さん、また地方議員の皆さんはこの現実を是非見に来るべきだ。いやその必要がある。私もテレビや新聞である程度の予測はしていたが、現状を目の当たりにして、その判断の甘さに気付かされた。
また、放射能汚染を危惧して瓦礫受け入れに反対している皆さん、一度見に来てください。そんなたわ言を言っている場合ではないだろ! この現状を見て反対するのならそれもいいだろう。しかし、そんな輩は日本人で無いと思うが、いかがなものか?
少し海岸を目指して走ってみた。車から降りて堂々とカメラを構える勇気など私には無い。ただただ何もせずにこの場にいることさえはばかられる。車の中からそっとシャッターを押すのが精一杯。今にも涙がこぼれそうになり、そっと手を目に添えた。
瓦礫と共に横たわっているのは? 列車? どうしてこうなったの? 改めて津波の恐怖を思い知らされる。
最後まで防災放送をやめずに津波に流されて犠牲になられた女性職員遠藤未希さん。その防災対策庁舎の前にはたくさんの花束が供えられている。今も手を合わせておられるお方も・・・私たち夫婦も遠くから手を合わさせていただいた。
少し高台の住宅は難を逃れたのだろう。そこに咲く数本の桜が唯一の救いだったかな? だが、こんなに哀れを感じさせる桜は他には無いだろう。
「なあ、もう帰ろ。可哀そうで見てられへん。」
「そやな〜。」
ただただ驚き、おののき、この惨状を目に焼き付けてこの場を立ち去ることにした。
私はこのあと気仙沼へ回るつもりでいた。しかしこれ以上、こんな光景を見る、いや見せられるのは耐えられない。また聞けば気仙沼は渋滞が激しいと言う。ここは部外者がウロウロするところではない。かえって迷惑だろう。そこで来た道を引き返し、一関へ向うことにした。
一歩海岸線を離れると穏やかに満開の桜が咲き、とても被災地とは思えない。今回の災害の大元は地震であり、その被害が大きかったのも事実だろうが、それよりも大きな、いや大きすぎる津波が甚大な被害をもたらしたと言うことだろう。目の前の光景がそれを物語っており、その恐ろしさを体感した。
これが震災発生から早くも1年が過ぎていると言うのに、まだ何も手が付けられていないと言う、まぎれもない現実である。ここは日本国民、皆が力を合わせて一日でも早い復興を成しとげなければ・・・その願いが叶う日はいつだろうか。ただただ祈るばかりである。
一関から平泉へ。この際である。世界遺産にもなったことだし、毛越寺と中尊寺へ行ってみよう。
雨が降り続く中、毛越寺に到着。身障者用の駐車場は? 山門前に3台ほどあるにはあったが、これがそうなのか? お土産物屋さんの駐車場? お店のお方に聞いてみた。
「そうです、無料ですよ。でも車椅子、大丈夫でしょうか?」
とわざわざ店から出てきて親切に心配してくださる。ここでも東北のお方の心優しさに触れ、心が和む。そのおばさんが心配してくださる通り、山門前の広場から境内は舗装されて無く、水溜りも有り、道がぬかるんでいる。これは車椅子では無理かな? だが、本堂まではそんなに距離は無い?
そこでばあさん、
「一回、ゆっくり歩いてみるは。」
傘をさして100m? いや200m? ゆっくりゆっくり歩を進める。本堂へのお参りを済ませ、すぐ隣の庭園へ。静かな池の周りを散策できるようだが、それはもちろん叶わぬこと。
池をはさんだ向こう岸に一本の枝垂れ桜が雨に濡れ、なんだかこの世の哀れを演じているようだ。先ほど無残な光景を見てきたせいだろうか? まだそのショックから立ち直れてない? なんだか気持ちが重苦しい。
近くに見事な枝垂桜が数本見えている。聞けば小学校の校庭で駐車場はないそうだが、満開になれば照明がなされ、夜桜がきれいらしい。なんと意気な計らいではないか。だが、雨に濡れてなんだか元気が無さそう・・・いや、これは我々のこと・・・かな?
可愛い手作りのお土産もゲット。お店のおばさんに見送られ、中尊寺へ向う。
中尊寺への道中でも見事な桜並木が続いていた。ようやく雨も上がったようだ。上にある駐車場に車を入れ、雨に濡れた桜に背中を押され、少しきつい坂を車椅子を押して登る。境内はなんだか薄暗いがしっとりとして落ち着いた雰囲気である。また雨が降りだした。
中尊寺の金色堂はもっと小さいものかと思っていたが、なかなか立派なお堂ではないか。金ぴかのお堂に鎮座されている仏様のお姿・・・。ふさぎ気味だった心が少しは晴れ、勇気付けられたようだ。
さあ水沢温泉へ急ごう。高速道路で盛岡まで。時間は5時半になっていた。盛岡と言えばばあさん、やはりぴょんぴょん舎だそうな。冷麺の夕食後、いざ、水沢温泉へ。
ところが国道46号線、仙岩峠に差し掛かると両側に多くの雪が残っている。2009年、この道を通ったのは4月18日だったけど、こんなに雪があったっけ? その残雪は水沢温泉でも結構見られたし、やはり今年は大雪だったのだろう。
深い霧のお出迎えである。暗闇に真っ白な世界・・・。これでは何も見えないじゃん。良くわかってる道だから良かったけど、始めてだったら迷ったことだろう。
フロントでは顔見知りのお方が歓迎してくださった。なんだか我が家に帰ってきた気分である。さてこれから10日間、のんびりするとしよう。荷解きのあと、まずは露天風呂かな?
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