日本列島ドライブ日記

由布岳

 2000年(平成12年) 星空ドライブ

 1997年(平成9年)子育てが終わり夫婦二人だけの生活が始まった。子供の世話から解放されたばあさん、心にぽっかりと穴があいたようでなんだか寂しそう・・・。根っからの貧乏性ゆえじっとしているのが苦痛なお人で休日などは暇を持て余しなんだか落ち着かないご様子。そこで神戸近辺、北近畿、琵琶湖周辺、伊勢方面などへ日帰りドライブのお供を仰せつかることが多くなっていた。

 体調がすぐれない私とは異なり、元気いっぱいパートで働き家計を支えてくれ・・・いやそれ以前にも慣れない仕事を手伝い、助けてくれたり、いろいろ苦労をかけてきたばあさんである。ならばせめてもの罪滅ぼし、お抱え運転手も仕方がない・・・始めはそんな気持ちであったのが、そのうちにだんだんと楽しみになりだしたではないか。ばあさんの好みに合わせ、花などを愛で、安くておいしい魚やB級グルメ、甘いものなどを求めて出かけるのも捨てたものではない。

 それが2000年になると4月にはとうとう近畿圏を脱出、桜を求めて津山城、鶴山公園まで出かけたのである。それって岡山県じゃん。それも暗いうちに出発して国道をひたすら走ったっけ。今思えば子供が経験する大冒険と同じ心境だった・・・かな?

 そしてその年の8月末で退職したのを機に

 「これから年に一回くらい、旅行せぇへんか?」

 と誘ったのがきっかけであった。もともと旅行が大好きなお人だから断るわけが無い。それまでも長男次男が小さなころには結構家族旅行もしていたが、6歳離れた三男の誕生、また彼らの成長に伴い、その余裕もなくなっていた。その子供たちも立派に自立してくれ、その上時間はたっぷりとある。となるとそれまでの日帰りドライブがドライブ旅行に繋がっていったのは自然の成り行きだったのかもしれない。


 早速9月、ばあさんは当時話題になっていた魚の本場の回転寿司を目的に、私は以前から気にかかっていたなぎさドライブウェーを走りたくて金沢から能登へ向かった。

 その旅行から帰った後、旅日記なるものを書き始めた。いやそんな大げさなものではなく、これからの旅になにか参考になるかも・・・と言わばメモのような気持ちであった。いやそれより時間はたっぷりとあり、暇つぶしが目的・・・それ、正解! ん?・・・。

 子供のころ日記などは三日坊主、その後も書いたことなどなかったのに、いざ書いてみるとこれが結構楽しい。また読み直してみると昨日のことのように思い出される。記憶などはすぐに消え去るが、記録に残しておくといつまでも消えない。その記念すべき最初の旅日記がこれである。
能登半島

 また持って行った年代物のバカチョンカメラだが・・・フィルムの巻き上げができなくなり、何も考えずに後ろのふたを開け、それまで撮っていた記念写真をダメにしてしまった。その後もいろいろな失敗は数知れず、そのたびにあきれたばあさんに何度言われたことだろう。「アホちゃう?」


 そして10月中ごろ、立山と黒部へ一泊二日の予定で出かけた。なに? 年一回が毎月一回? おいおい・・・まあ、いいっか。


 ところがその二週間後、なに? 先月行けなかった黒部渓谷まで行く? それも日帰り? 高速道路も使わずに? もっとも本来ケチなばあさんのこと、余程のことがない限り高速料金など出してもらった記憶はない。原付免許しか持たず助手席から、あっちへ回れ・・・あそこへ寄れ・・・と指示をするだけのおばはん。それがとうとう日帰りで黒部まで? お抱え運転手であることは認識していたが、そこまで言うか?

 今や彼女は我が家の大黒柱で女王様、その命令には逆らえず、仕方なく出かけたが・・・熟睡しているばあさんの寝顔と国道8号線からの星空を眺めながら往復約800Km・・・それが何事もなく、無事帰りつけたではないか。やればできるんだ・・・。


 2000年(平成12年)・・・これが我々夫婦の旅、ケチケチドライブのプロローグである。その旅も行き当たりばったり、出たとこ勝負、失敗だらけの珍道中・・・カーナビもない車ゆえ道に迷ったことは数えきれず。だがここは日本、道は必ずどこかにつながっている・・・また泊まるところなどどうにでもなるだろ? なければ車で寝ればいいじゃん。

 年齢のことを考えると残された時間は? もし長生きができたとしても元気でなければ意味がない。だが今ならまだ何とかなるだろうか、また深夜ドライブの経験から運転に自信もついたのだろうか、徐々にドライブする距離が長くなり、日帰りの範囲も広まっていき、それがいつのまにか東北へ、九州へ、北海道へと日本全国をきままに旅することに繋がったのだろう。

 いかに安宿とは言え宿泊すれば結構高くつく。黒部渓谷まで日帰りできるのならそれに越したことはない。ならばできるだけ倹約すれば一度の旅の予算で二度三度と出かけることができるのではなかろうか。できるだけ少ない費用で日本全国、いろんなところを訪れてみたい。今思い起こせばこの時、そんな夢のような希望が芽生え、目標になっていったように思える。


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