日本列島ドライブ日記

由布岳

 2008年(平成20年) 血管炎

 年が明けても平城宮跡を散歩するときにカメラを持ち歩く始末。なに? 草花の接写? 野鳥? 連写? 夜に行われることが多い奈良の行事などの夜景撮影? これでは始めておもちゃを手にした子供じゃん。

 ところが2月22日、ばあさんの左目が充血、結膜炎? だが治まらずに26日、近所の眼科医へ。なに? 上強膜炎? その医者は少し疑念を抱いていたようだが、一週間ほどで治まれば大丈夫だろうと・・・。なに? 3月1日に仕事復帰? オイオイ、大丈夫なの?

 なに? その前に桜を見に行く? そこで伊豆まで日帰りドライブ。目的は河津桜である。4月には昨年行けなかった山高神代桜へも・・・。

 だが上強膜炎が治らず、その上間質性肺炎まで発症、4月16日に天理の大病院へ入院。その病名は血管炎、いわゆる難病指定の膠原病で原因がわからず、治療方法も確立していないなど極めて困難な病気だそうな。事実いろいろ検査をしたが原因はわからなかった。それからばあさんの闘病が始まったのである。

 5月9日に退院、16日間の入院であったが、まだ目がうっとうしく、痛みもひどいと言う。肺のレントゲンは随分きれいになってはいるが、まだ完全ではないらしい。体調は優れず、午後からは何とか元気を取り戻し普段の生活に戻れていたが、特に寝起きの2〜3時間は気分が悪く、よく顔をしかめていたっけ。

 ところが8月になっても上強膜炎がいまだに治らない。大病院の眼科医はとうとうさじを投げたのだろうか、2週間に一度の診察を一ヶ月単位にした。血液検査も徐々に数値が高くなり、この先また肺や腎臓に影響が現れないとも限らず、内科医は長期入院してプレドニンの大量投与に踏み切ると言いだしたのである。その時点ではそれがどれほど重大なことかなど知識もなく、全くわからなかった。だが命にかかわると言われれば反論することもできず、了承するしかない。しかしこの判断はどうであったのだろう。プレドニンの副作用についても説明は受けたが、我々にはよく理解できていなかったようだ。

 8月19日から65日間の入院生活。プレドニンの大量投与で目の充血もなくなり、体調も徐々に良くなってきたようだが、顔がパンパンに膨れ上がり、まるで別人のようであった。2ヶ月とはいかにも長い。いやばさんも大変だろうが、一人暮らしの我が身にも過酷な日々であった。気分転換、いや暇を持て余し・・・? 大台ケ原へ何度か出かけ、その帰りに病院へ。私の入院の際に世話をかけていたし・・・一日も欠かさなかったはせめての恩返し・・・いや、そんなことより彼女の場合は比べ物にならないほどの重病である。ここは私が支えてやるのが務めであろう。その覚悟はできていたがストレスがあったのも事実である。

 10月22日に退院はできたものの、2週間に一度の血液検査、また各科の診察もあり、病院通いはいつ終わるのか見通しはたたない。足腰が極端に弱くなり杖をついて何とか歩いてはいたが、階段の上り下りに苦労をしていた。そんなモヤモヤした気分を吹っ切りたかったのだろう。どこかへ紅葉を見に行きたいと言うので11月18日に丹波もみじ三山へ、これは良くなる兆し?


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