2007年(平成19年) ロングステイ
2007年、まだ飽き足らずに、いや凝りもせずに出かける頻度は加速度を増してゆく。 まずは初詣だとお伊勢さんへ。 3月に身延山から富士五湖を巡り、4月に高山から砺波へ。 5月には九州の別府温泉、湯布院、黒川温泉と温泉巡り。
そして2007年6月、目標であった尾瀬ヶ原へ。 可憐な水芭蕉、リュウキンカに感動。 ばあさん、山小屋も初体験、いや山小屋と言っても温泉もあり、民宿みたいだったけど・・・。
私が闘病中だったのは事実だが、誠に勝手な病であった。 発作さえおきなければ何ともない。 また出かけている間は運転の緊張もあったのだろうか何事もなく、十分楽しめた。 いや、徐々に体力も付き、良いほうへ向かっていたようだ。 まあ、老い先に不安があった・・・これが真実かもしれない。
私にはいつどうなってもよい、いやなるだろうとの覚悟の上の旅だったが、そのわがままをばあさんは受け入れ、いろいろ気を使い、精神的にも大いに助けてくれた。 しかし神様はその罰を準備していたようである。 それも私にではなく、ばあさんに・・・。 なぜ?
甲斐性の無い私と違い、ばあさんは頑張り屋さんで少々の熱でも滅多に寝込まなかった。 十数年前からパートで働き、大いに助けてもらったものである。 退職後は年金で何とか生活はできていたから
「もう無理せんとき。」
と何度も何度も忠告したが聞く耳持たず、
「私が働いた分で旅行に行けたら言うことないやん。」
それはその通りだが・・・。 そのばあさんの体調に異変が現れたようだが、二人ともあまり気にかけていなかった。 働き者で元気なばあさんのこと、滅多なことはないだろうと高をくくっていたのかもしれない。 徐々に体を蝕まれていったのはこれがきっかけだったようだ。 やはり無理があったのだろう。 今思い返せば当時のやり取りが悔やまれてならない。 しかし旅行と言う誘惑に負けたのも事実であろう。
まずは肩から首が回らなくなり、そのりリハビリ中なのに2007年7月26日、湯治などと理由をつけてのんきに信州へ出かけたのである。 その時に登った乗鞍の富士見岳の2816m、ばあさんが登頂した最高峰だと喜んでいたっけ。 思い起こせばなんと浅はかだったことよ。
ばあさん、2007年の紅葉狩りは早くから東北と決めていた。 八幡平の紅葉をもう一度見たいそうな。 それ以外にもみちのくには各地に紅葉の名所、また観光地もたくさんある。 その上私には東北へ行くのならどうしても行きたいところがあった。 それは栗駒山と八甲田の毛無岱。 どちらも山歩きをしなければならないが、それができるようになった今、どうしても歩いてみたい。 しかし山登りとなると連続では体力的に無理がある? その上天気も問題になってくる。 さて、どうする?
そこでいろいろ考えた。 どこかで滞在して天気の良い日に各地に向えばどうだろう。 だがホテルとか旅館なら高くつくし・・・そうだ、ウィークリーマンションなら安くあがらないか? そこで前回の旅でお気に入りの町になっていた弘前のレオパレスに3週間滞在することにし、10月4日に出発。
晴れた日には出かけ、天気が悪ければ部屋でのんびり、晴耕雨読ならぬ晴遊雨眠と言うところだろうか。 こんな旅もあるんだ・・・と再認識して大いに気に入ったものであった。 一箇所にどっしりと腰をすえ、天気や体調を考えて行きたいところへ、行きたい日に出かければよい。 これほど贅沢な旅はなく、また違った旅の形に出会ったようだ。 行き当たりばったり、気ままに出かけていた我々夫婦には、こんな旅が似合っていたのだろう。
この旅を始めた当初にはバカチョンカメラを使っていたくらいだから、カメラには全く興味がなかったのにデジカメになった途端、ところかまわずパチパチパチパチ。 となるといよいよ良いカメラが欲しくなるのは自然の成り行きだったのだろう。
しばらく悩んでいたが2007年11月末、辛抱たまらず購入してしまった。 そのカメラはキャノンEOS40D、レンズはタムロンA18Eで18〜250mmのズーム。 いわゆるデジ一眼である。 この歳になってこんなことになろうとは・・・。
早速京都の紅葉を撮りに嵯峨野へ、また神戸ルミナリエへも・・・。 その後デジ一眼が新たな生きがいを与えてくれたようで、暇つぶしに始めたHomePageだったのが欲も出てきたのだろうか、より良いページにしたくてなおも試行錯誤。 何度も何度もやり直し、それがYouTubeへ、俳句へとつながったのだろう。 そう考えればあながち高い買い物ではなかったかな?
それにしても2007年、いやこの2年間・・・今思い起こしても我ながら呆れる。
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